雑記

人生は有限であるということ

今日は、人生は有限であることについて書きたいと思います。

ぼくは今サラリーマンをしています。ふつうの家庭に生まれ、ふつうに小中高を出て、そこそこの大学に何とか入り、レールに乗ったように就職活動をして今の会社に何となく入りました。

今では海外駐在をするポジションを得ましたが、海外に来ることで今までの自分の視野の狭さに気付かされています。

本当に自分と向き合ってきたのか?

今の仕事は本当にやりたいことなのか?

周囲に見栄を張りたいだけではないのか?

今とくに感じる思いは、そこそこの給与を得るために日々の生活を無駄にしていないか、ということです。

ぼくは営業のポジションに就いています。

営業ということは、なにかをお客さんに売ったり、契約を履行するためにさまざまなことをコーディネートする役割を負います。

はっきりいって、その商材には興味がありません。にも関わらず、その商品についての知識を深める、競合を調べる、といったことに、どうしてもモチベーションを高められない自分に気が付きました。

仕事をしているときのぼくは、自己を押し殺し、会社の歯車の一部となって、淡々と仕事をこなしているだけなんじゃないか、と思う時があります。もちろん、人から任されることは嫌いではないし、それに何とか報いたいという思いが湧きます。ぼくが仕事を頑張れている前向きなモチベーションはそこに尽きると思います。

その仕事で得られることを考えたときに、当然給与はありますが、今後に活かせるスキルが身につくかどうか、という視点が大変重要だと感じています。

不安をかき消す為に、そこそこの会社に入り給与を得る、その一方で、将来に活かせるスキルが醸成されなければ、本質的な不安は消せないと思うのです。そして何より、つまらない仕事をしている時間が無駄で仕方がないし、その時間は自分を不幸にするのだろうと思います。

たとえ年収が下がろうとも、少しでも興味が湧く仕事、将来に活かせるスキルが磨ける仕事、自分の夢や目標に近づくための線上にある仕事、を求めた方がいいと思うのです。

挑戦することはエキサイティングです。失敗したとしても、死ぬことにはならないはずです。失敗に思えるようなことが起きても、諦めなければ失敗にはならない、という言葉もあります。

人生100年時代と言われる現代を生きる我々は、安定を頼りに無駄なことをしていても、生き残れる保証はありません。安定を頼りに選んだ仕事がなくなったりしたら、どうすればよいのでしょうか?会社に生かしてもらえる時代は終わった、と言われるものの、その実感を得られていない人が大半だと思います。ぼくもそのひとりです。ですがその兆候を敏感に察知し、動いている人たちがいます。今の年収は少なくとも、人生の幸福度はその人たちの方が高いだろうし、将来その人たちの方が稼いでいたとしたら、安定のために日々しょうもない仕事をしていた人たちとしては死んでも死に切れないでしょう。

今できることは、アクションを起こすことだと思います。

人生は有限であり、無駄なことをしている時間はないということです。

自戒を込めて。

 

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